福岡県宗像市と旧玄海町の観光地域情報サイト!!
宗像市(旧玄海町)の歴史
玄海町(げんかいまち)とは、福岡県宗像郡に存在した町のことです。響灘と玄界灘の分岐地点で、古代は交通の難所でありましたが、
現在では海や山など自然が多く、更に歴史深い神社や仏閣が多い為、観光客で賑わっています。2003年4月1日、宗像市と対等合併して
新「宗像市」となったため自治体としての玄海町は消滅しました。
宗像地域の名前の由来
玄海 宗像市と合併した旧玄海町。その町名は、昭和の合併の折に付けられました。
その昔から呼ばれていた親しみのある名前であり、公募による投票においても約9割の人々がこの名前を最も
適当として選定しました。
宗像 「宗像」の地名は古くから「宗形」ほか「胸肩」と出てきます。由来は、この地の海人達が胸に入墨をしていたので
胸肩とする説。宗形三姫神(田心姫・湍津姫・市杵島姫)をおまつりしていたことから、身の形、身の象と称した
とする説。海岸線の干潟をなしていた地形から空潟・沼無潟とする説等の諸説あります。四世紀に沖ノ島で
海上交通の安全を祈願した国家的祭が行われました。七世紀中頃の国郡の制度により、宗像は九州では
唯一の神郡として宗像大社の神領に定められました。
歴史深い神社・仏閣の紹介
宗像大社
「宗像大社」は沖ノ島の沖津宮、筑前大島の中津宮、旧玄海町の辺津宮の三社の総称であるが、
現在では辺津宮のみを指す場合も多い。
宗像三神を祭り、古くから海上交通の安全の神として信仰されていますが、現在では海上に限らず、陸上の
交通安全の神としても信仰を集めています。そのため、県内では宗像大社のステッカーを貼った自動車が多数
見受けられるほか、新車を購入した際に御祓いを受ける人も非常に多いようです。
沖津宮
海上交通の要所に位置する沖ノ島に祀られている沖津宮は、現在、緊急避難港に指定されているますが、
島全体が神体である。そのため現在でも女人禁制であり、男性であっても上陸前には禊を行わなければならない。
「海の正倉院」とも呼ばれ石舞台や古代装飾品なども多数発見されており、古代からの信仰の対象とされていた
ことが偲ばれます。また、古代は歴代の支那(中国)や朝鮮の王朝との交易で栄え、九州を中心にこの沖ノ島の
世界遺産化運動が日本中にひろまっています。
国宝
福岡県宗像大社沖津宮祭祀遺跡出土品
鹿児島本線・東郷駅から西鉄バス宗像で10分
織幡神社(おりはたじんじゃ)とは、福岡県宗像市鐘崎の鐘ノ岬に位置する神社で、宗像大社の末社である。
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